ここ最近、朝テレビを見ると65歳定年制のニュースが流れているのを見かけます。

65歳定年制とは?
厚生年金の支給開始年齢が65歳に引き上げられたことに伴い、定年退職の年齢を65歳まで引き上げられた制度の事です。

この65歳定年制のメリット・デメリットそして改善策が連日報じられているわけです。
問題として指摘されているのが、若年者の雇用機会を奪う事になるとの懸念です。

そのため、定年自体はあくまで65歳でも給料体系は成果主義にしていった方がいいとの話がでてました。
わかりやすく言うと、定年まで仕事は出来ても成果が出ていなければ新入社員と変わらなくなってしまうわけです。
65歳定年制を導入するには、年功序列の撤廃と成果報酬制の導入が必須だと!
という論調でした。


で、ニュースを見ていた日本の定年制をはじめとする企業体質と江戸時代の徳川幕藩体制が酷似している事に気づきました!!

まず、江戸時代では徳川商事(徳川幕府)という全国展開している大企業があり各県(各藩)に子会社を作っていきます。
社長の徳川家康の側近や近親者は江戸周辺の子会社を任されて本社のである徳川商事(徳川幕府)を守っていきます。

もちろん、社員(武士)達は終身雇用で歳がゆるすかぎり働き家老の子供は家老に、足軽の子供は足軽に・・・
現在は、ここまでひどくはないと思いますが、結局縁故での入社は必ずかるだろうし引きずっていると思います。

そんな中、いち早く成果主義に切り替えていったのが薩摩藩だと自分は思っています。
一介の下級武士でしかなかった西郷隆盛が、藩制を動かす程になっていったわけですがから・・・
もちろん、これは西郷隆盛自身の力だとは思いますが、それを受け入れる風土が薩摩藩の中にあったんだと思います。

その一方で、会津藩は初代藩主の家訓(今で言えば社訓でしょうか)に縛られ、成果報酬制を導入する事が出来なかったという見方も出来ると思います。
会社ありきで、社員(藩士・領民)に目が向いていなかったのは否定できないと思います。

現在の会社も、会津藩と薩摩藩と同じ決断の時期にきているのかもしれません。
常に一定周期で価値観の転換は起こっているので、それに順応するか逆行するか・・・
同じ決断が各企業に求められていると思います。

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